@ledsun blog

無味の味は佳境に入らざればすなわち知れず

ちまき とは?

なぜか5月5日に ちまき を食べますね

端午の節句(こどもの日)に菖蒲湯に入り、柏餅・ちまきを食べる由来

ちまきを食べる風習も、中国の古い歴史に由来します。 古代中国に、屈原という忠誠心の高い高名な詩人がいました。政治にも携わっていた彼は、多くの人民から支持されていましたが、それを好ましく思わない者の陰謀によって国を追われ、川へ身投げしたという言い伝えがあります。嘆き悲しんだ多くの民は、屈原が魚に食べられないよう川へちまきを投げ入れました。 この言い伝えから、中国では、ちまきは「忠誠心が高い象徴」として考えられています。そのため、忠義のある子に育つことを願い、こどもにちまきを食べさせました。屈原が入水した日が5月5日であったことから、端午の節句ちまきを食べる風習が生まれ、日本に伝わっています。

屈原と粽 | 菓子資料室 虎屋文庫 | 株式会社 虎屋

「淵には蛟龍(こうりゅう=龍の一種)が住んでおり、投げ込んだ供物を食べてしまう。厄除けに楝樹(せんだん)の葉で包み、五色の糸で巻けば蛟龍は食べないであろう。」 それから里人は教え通りに供物を作るようになったといいます。 これが粽の始まりだといわれます。

ちまきの由来? | 食育大事典

竜が嫌う葉で米を包み、五色の糸で縛ったものを流すようになりました。これがちまきの始まりなのだとか。

ういろうちまきと中華ちまき全然違うものなのになぜ同じ名前なの?

端午の節句の「ちまき」 包まれた中身が東西で違う! - ウェザーニュース

これが、奈良時代端午の節句の風習の1つとして日本に伝来。当時、都のあった近畿地方を中心に、(白く甘い団子を笹の葉で包んだ)ちまきが広まったようです。 一説によると、その後も伝統を重んじる近畿地方では、ちまきを食べる習わしが引き継がれているようです。

一方、端午の節句ちまきを食す風習があまり定着しなかった東日本や北日本では、のちに端午の節句に柏餅を食べるのが主流となったようです。

ちまき - Wikipedia

承平年間(931年 - 938年)に編纂された『倭名類聚鈔』には「和名知萬木」という名で項目があり、もち米を植物の葉で包み、これを灰汁で煮込むという製法が記載されている[16]。元々は灰汁の持つ殺菌力や防腐性を用いた保存食であった。その後、各地で改良や簡略化が行われ、京では餅の中に餡を包み込んだり、餅を葛餅に替えるなど独自の物も出来て来た。

もしかして、「灰汁巻き」という奴でしょうか? すると、中国から端午の節句にまつわる、「ちまき伝承」が伝わり、形はすでにあった「灰汁巻き」と合体し、京都で改良されたものが「ういろうちまき」のようです。 その後、関東で謎の変異を遂げたものが「柏餅」なのでしょうか?

ちまきの名前の意味

粽(チマキ)とは何? Weblio辞書

古くはチガヤの葉で巻いたところから

「茅巻き」のようです。 茅萱(ちがや)と茅(かや)は同じものなのでしょうか? いわゆる、かやぶき屋根に使う「かや」と同じ系統の植物でしょうか?

笹じゃないし、中国の「ちまき伝承」では楝樹(せんだん)だったし、もう葉っぱならなんでも良い感じですね。 柏餅も葉っぱだけは残った感じがします。 葉っぱはローカライズするときに現地で入手しやすい植物に置き換わるのかもしれません。

カオトムマット

ということは、東南アジアのバナナの葉っぱで餅米蒸してたべる料理も「ちまき」に入るんでしょうか?

タイのお菓子:カオトムマット(ข้าวต้มมัด) | タイNavi

カオトムマットはタイ全土で食べられる伝統的なお菓子です。バナナや小豆、タロイモなどをココナッツミルクなどで甘く味付けしたもち米に包み、バナナの葉で包んだ料理で、タイではデザートとして食されることが多いカオトムマットですが、お供え物として供えたりもする料理です。

もう「ちまき」ですね。 タイで「カオトムマット」と呼ぶ食べ物を(中華系の人が多い)シンガポールでは何と呼ぶのでしょう? 興味が尽きません。

20220504追記

そういえば笹の葉、朴葉、柿の葉なんかの葉っぱでご飯を包んで保存するのってメジャーですね。 なるほど「竜が嫌う葉」って、おばあちゃんの知恵袋的な豆知識から来てそうです。