@ledsun blog

無味の味は佳境に入らざればすなわち知れず

ドンバス

anond.hatelabo.jp

トラックバックから ドンバス - Wikipedia を読みました。

現在ドンバスとして知られる地域は17世紀後半、ドン・コサックが定住するまで無人の土地が広がっていた

ここから驚きです。 「肥沃な穀倉地帯ウクライナ」のイメージからは江戸時代に無人の地だったとは想像していませんでした。

ドネツィクは1869年にイギリスの実業家ジョン・ヒューズが製鉄所を建設、複数の炭鉱を開発。炭鉱景気に沸くほかの町も発展し、ロシア帝国のグベールニヤ(県)から出稼ぎ先を求めて大勢の小作農が集まった

明治時代に入ってから炭鉱、製鉄の町として発展し始めたようです。 日本で言うと筑豊炭田のようなイメージでしょうか?

1917-1922年のロシア内戦の結果、ドンバスは統合された。

Wikipediaの記述では、統合先が不明瞭ですがソ連の一部になったようです。

ホロドモール飢饉(1932年–1932年)

世界恐慌が起きて数年後、満州国が建国されナチスが政権を取り、第二次世界大戦に突き進んでいる頃でしょうか?

1941年から1942年に至るナチ占領下

第二次世界大戦中はナチスに占領され、戦後にソ連に戻ったようです。

1991年、ソビエト連邦からの独立

ウクライナ独立は、30年前。湾岸戦争の翌年です。

ドンバスの採炭業者は1993年に国内紛争を巻き起こしながらストライキを行った。 ドンバスの人たちは地域や企業や諸都市に権限移譲して欲しいから独立に賛成した

1994年まで続いた。ウクライナは単一国家に留まり、ウクライナ語は唯一の公用語として維持され、ドンバスにはいかなる自治権も与えられなかった

独立直後からモヤモヤしています。

レオニード・クチマ ウクライナ大統領は1999年に再選。 クチマは地域内の政治的支援を得るために、開発資金を用いてドンバスに経済的援助を与えた

イデオロギー的にモヤモヤしつつも経済的に落ち着いていたのでしょうか?

2014年4月、分離主義武装勢力(ノヴォロシア人民共和国連邦)とウクライナ政府の戦争。内戦の最中、分離独立派の〈共和国〉は2014年5月11日にドネツィクとルハーンシク両州の地位に関する住民投票を実施し自治を望ましいとする結果に

15年くらい時間が飛んで、なぜか内戦が起きました。

詳しいことはわかりませんが、ドンバスには独立派が居て、おそらくロシアから非公式に直接的な支援を受けている。 ウクライナ軍は直接的な戦闘は行っていた。

ロシアの言い分としては、ドンバスの独立派を表だって指示して、公式に軍事支援することのようです。 ロシア軍が侵攻したとして、ウクライナNATOに非加盟なら、欧米は直接的な軍事支援は出来なさそうに思えます。

あれ?もしかしてロシア vs NATOでなくて、ロシア vs ウクライナなんですか? すると戦力差が大きいので、クリミア半島と同じようにドンバスがロシアに併合される結果にしかならなさそうに思えます。